どっかん。

なんでも。

日立製作所の原子炉開発部は茨城県の日立工場にあった。戦後に作ったスレート屋根のバラック工場だった。

当時の日立工場には人事部はなく、人事や労務を担当していたのは「勤労課」と呼ばれる部署である。まず勤労課に挨拶に行くと、「人事部長がアメリカでスカウトしてきた大前さん、待ってました」という感じで歓迎された。気分は上々である。

挨拶回りを終えて、午後になって建物の2階にある原子力開発部に向かった。ここで高速実験炉の「常陽」(茨城県東茨木郡大洗町)や新型転換炉の「ふげん」(福井県敦賀市。2003年に運転終了)の開発、次代の高速増殖原型炉である「もんじゅ」(福井県敦賀市)の予備設計を行っていて、当時200人ぐらいの社員が働いていた。

しかし、私が顔を出したときには仕事をしている人はほとんどいなかった。噴き出す汗を拭いている人、団扇で仰いでいる人、大半はあまりの暑さに机に突っ伏してグッタリとしていた。

「どういう会社に入ったんだ」と思った。日立は確かエアコンも作っているはずである。それが職場に1つも設置されていないというのはどういうわけか。皆、暑さで参って仕事にならないのに。

最初の仕事は決まった。目の前で机に突っ伏している人たちがエアコンを入れて働いた場合の費用対効果を概算して紙の上にさらさらと書き、「エアコンを入れたらこれだけ生産性が上がる」という改善案を勤労課に持って行ったのだ。

「素晴らしい。アメリカで勉強してきた方は発想が違う」などと感心されたものだから、「まあ、これで良かったのかな」と思って職場に戻り、「おい、喜べ。エアコンが入るかもしれないぞ」と報告した。ところが反応が鈍い。返ってきた言葉は「大前さん、そんな甘いもんじゃないですよ」

しばらくして今度は先輩から「大前君、下(勤労課)に何か言ったの?」と聞かれた。エアコンを入れたほうが得だという話をしたと説明すると「何やら下で円卓会議をやっているぞ。生意気な奴が入ってきたからどうやってこらしめてやろうかって」

本人の前では誉めそやしておいて、陰でコソコソと焼きを入れる相談とは性根が腐っている。そんな会社に入ったつもりはない。

私はその場で辞表を書いて上司に提出した。会社員生活初日のことである。

この国には『イヤなものはイヤと言える人が少ない』だけでなく『イヤと言える人のことが許せない人が多い』
Twitter / @illvibe
2011-06-13 (via tessar)

(mamemomongaから)

thesorrowsofgin:

Boston Athenaeum.

thesorrowsofgin:

Boston Athenaeum.

(miqoeleから)

自分自身の人生を振り返って、思うことがあります。

受験でも、恋愛でも、仕事でも…。

結局、「戦った」「頑張った」…というあとには、必ず、何か、いいものを得ているのです。

戦っていない人、何もしていない人が、何かを得ることは、決してありません。

泣いても、わめいても。どんなに逃げても…。
人はいつか必ず、どこかで戦わないと、ダメなんです。
そしてそれは、どんなに小さな行動でもいいんです。

一年前に、失敗しても。
一週間前に、うまく行かなくても。
昨日、何もできなくても。

決してくじけず、ただ今日は、昨日より、ちょっとだけ行動しよう。

そう思うことが、何より大切なんですよ。